東京都日野市にある高幡不動尊は、慈覚大師円仁が清和天皇の勅願により高幡山上に不動堂を開いたのがはじまりと伝えられています。像高2.8メートルという巨大な本尊の不動明王坐像は国重要文化財です。新選組の土方歳三の菩提寺であったため、境内には位牌や銅像などがあります。
高幡不動尊のアクセス方法と駐車場
住所 東京都日野市高幡733
電話番号 042-591-0032
高幡不動尊は京王線および多摩都市モノレールの高幡不動駅を下車して徒歩2分の立地にあります。
自動車であれば中央自動車道国立府中インターチェンジから8分ほどです。
境内には参拝者用の駐車場があります。
高幡不動尊の歴史
高幡不動尊の歴史について、境内の案内板には次のとおり書かれています。
高幡不動尊金剛寺の歴史
真言宗智山派別格本山 高幡山明王院金剛寺 は古来日本一と伝えられる木彫の丈六不動三尊像をご安置する寺で、高幡不動尊と呼ばれて親しまれている。
古文書等に大宝以前の草創、行基菩薩の開基と記されているが、平安時代初期に慈覚大師(円仁)が清和天皇の勅願によって当地を東関鎮護の霊場と定め 山中に御堂を創建したことが知られている。(重文・文永の鰐口銘文)
後、建武二年(一、三三五年)の大風によって山中の堂宇が倒壊し、時の住僧儀海上人が七年の歳月をかけて康永元年(一、三四二年)麓に移建したのが現在の不動堂で東京都最古の文化財建造物である。
不動堂はその後建て直された仁王門と共に中世の密教建築の代表的遺構として旧国宝(現重要文化財)に指定されている。
鎌倉時代以後の高幡不動尊は十院不動堂と呼ばれた談議所(学問所)で真言宗武蔵方(虚空蔵院儀海方)の中心寺院であった。
足利時代「汗かき不動尊」と呼ばれて鎌倉公方をはじめとする戦国武将の尊崇をあつめ、江戸時代には関東十一檀林に数えられ「火防の不動尊」として広く庶民の信仰をあつめたが、安永八年(一七七九年)の業火により大日堂及び奥院の諸伽藍を全焼した。
その後 徐々に復興に向い、殊に近年の五重塔建立・宝輪閣の建設・奥殿の完成等により堂塔伽藍が整い往時を凌ぐ程の寺観を呈するようになった。