天狗と星のかかわり

天狗民間信仰

榛名山系の相馬山と修験

赤城山・妙義山とならんで上毛三山のひとつに数えられる榛名山ですが、この山系のなかに相馬山があります。
相馬山を神体山として拝する神社は黒髪山神社ともいわれ、ここにはなぜか相馬氏の祖先でもある平将門の伝説がみられます。境内の石像のひとつは平将門であり、平将門は美しい黒髪を蓄えていたのでこの名があるというものです。
また、相馬氏初代の相馬師常は、鎌倉初期に活躍した武将である千葉常胤の次男にあたるため、もともと相馬氏と千葉氏は同族ですが、その千葉一族の千葉常政の子・相満がこの地で天狗にさらわれたという伝説もあるそうです。
黒髪山神社は里宮と奥宮がありますが、奥宮のほうは鎖場が続く典型的な修験道の行場です。北極星を神格化した妙見信仰も盛んで、やはりただならぬつながりを感じさせます。

天狗の初見とは

ところで我が国における「天狗」の初見は、『日本書紀』舒明天皇9年の「大いなる星東より西に流る。便ち音有りて雷に似たり。亦た曰く、地雷と。是に於て僧旻僧(ほふし)曰く、流星に非ず、是れ天狗(あまつきつね)なり。其の吠ゆる声雷に似たるのみ。」であるとされています。
「天狗」のことを「あまつきつね」と訓じていることから、後にキツネをお使いとする稲荷信仰にもつながるという見方もありますが、ともあれ我が国最初の天狗は、星との関わりが深かったことはわかります。

もっとも当時の日本人がすべて星と天狗をつなげて考えていたのかといえばそうでもなさそうで、だいたい僧旻は小野妹子とともに隋に渡った学僧であって、中国の『史記』天官書にある「天狗の状大奔星の如く、声有り、其の下て地に止るや、狗に類す。」とあるのを下敷きとした知識を話したに過ぎないともいえます。
日本書紀ではこのあとに蝦夷が反乱を起こしたことを告げており、天官書のなかに出てくる天狗も轟音を発して地に下ると戦がはじまるという、ある種の災いの象徴のような位置づけになっていることから、やはり日本固有というよりも、中国から得た知識をもとにしている疑いのほうが濃厚といえます。

星と天狗

このあと天狗と星とのかかわりがふたたびクローズアップされるのはかなり後の時代になってからで、平安時代にはたとえば「てんぐ(天狗)、おに(鬼)、すだま(精)」などが「もののけ」として取り憑くことがいわれているものの、星と何らかの関わりが示唆されることはなかった様子です。
流星のほうはやはり凶兆として捉えられており、朝廷でも天文博士などの勘申を受けて、天下に大赦を下したり、祈祷をしたりといったさまざまな措置をとっています。
また『今昔物語集』にはかなり多数の天狗の話が登場しており、どことなくユーモラスな部分も多いものですが、空を飛ぶことがあったにしても、星の化身のように観念されていたことを示すような話は特になく、結局のところ古い時代に『日本書紀』に単独で登場したに過ぎず、後世にはほとんど引き継がれなかったのではないかと思わせるものがあります。

そしてふたたび登場するのが『太平記』であり、鎌倉幕府の滅亡の遠因として語られる「高時田楽舞」なおいて、「天王寺のや、妖霊星を見ばや」とはやしたてつつ、天狗が北条高時と一緒に舞い踊っていた、というか高時が天狗にたぶらかされて世の中を兵乱に陥れていたという構図が示されています。妖霊星は「天下将に乱るる時、妖霊星と云ふ悪星下て災を成す」とされる凶星で、暗い世相をあらわす不気味なしるしと考えられていました。
京都を灰にした未曾有の戦乱とされる応仁の乱・文明の乱を題材として書かれた『応仁記』にも、京都の愛宕山に棲む天狗の太郎坊が無数の眷属を集めて談合するシーンで、「今度流星凶を示す」と流星を登場させて、流星と天狗との関連をにおわせています。これもあるいは同じく戦記文学の先輩にあたる『太平記』から着想を得た可能性はありますが、いずれにしても天狗と星との関連性が、なぜかこの南北朝・室町という時代になってようやく蘇ってきたことには深長な意味があるのでしょう。

江戸時代以降の天狗

江戸時代に入ると、儒学者・国学者などはたしなみのひとつとして『日本書紀』の内容は当然知っていたと思われ、実物の夜空に流れる流星を見て天狗を連想する記述は日記や随筆などにいくつも残っています。しかし兵乱の兆しとして心の底から恐れていたかというとそうではなく、単純に知識のひとつとして思い返すだけのようだったともいえます。
尾張藩の家臣が元禄年間に書き残した『鸚鵡籠中記』に、東の空に流星が出現したといって、人々が多く集まり、弁当、敷物、提灯まで持っていったという話が載せられていますが、こうしてみると江戸時代にはすでに流星は単なる見物の対象でしかなく、そこから世の中の激動までを予想するような緊迫した考えはもはやなくなってしまっていたのかもしれません。

そして現代でも天狗を祀っているお寺などは山岳地帯を中心にいろいろとありますが、やはり星と天狗との関連は見えてこず、中世に一時盛り上がった程度でこの関わりはどこにもなくなってしまったのかと寂しい気もします。相馬妙見三社をはじめとする妙見信仰との関わりも特になさそうですが、逆に何らかの関わりを発掘できたらそれはそれで面白いかもしれません。