釈迦如来・大日如来・薬師如来・阿弥陀如来

道後温泉の天平勝宝年間の湯釜に彫られた薬師如来民間信仰

釈迦如来

古代インド、ヒマラヤ南麓の迦毘羅城城主・浄飯王の長子であったゴータマ=シッダールタ(悉達多)の尊称である。その母は摩耶夫人、釈迦族の聖者というところから釈迦牟尼、略して釈迦と通称される。

如来としては唯一の歴史的存在であるが、仏法の体現者としての超現実性を表徴するものとして、肉髻、白毫などの身体的特徴が次第付加されるに至った。

一般にみられる近世の石仏では、右手に衆生の畏怖を除くという施無畏印、左に衆生の希望を具現させる与願(よがん)印を結ぶのがふつうで、墓地によく見受けられる。また稀には釈迦如来を中尊とし、両脇に文殊・普賢の両菩薩を従えた三尊形式のものある(このとき文殊・普賢を脇侍という)。

文殊菩籍は仏の智慧を掌り、右の手に智慧の剣を捧げ獅子に騎乗する像形を取る。また普賢菩薩は仏の理性を掌り、白象に乗り合掌印を結ぶのを基本とする。普賢菩薩は女人往生を説いているところから特に女子の信仰が敦く、その尊像が単独で造立される場合がある。

大日如来

別名摩訶毘盧遮那如来。宇宙本源の仏であり、森羅万象この仏の徳の為さしめた業という。その智慧の光明は太陽をも凌駕し、遍く世界を照らすために大光明遍照と称されることもある。大日如来が他の如来とは異なり、宝冠を戴き装身具を用いるのは、最高仏としての森厳さを示したものといえる。

ところで、大日如来の尊像には二つの種類、即ち、内在する理德を象徴する胎蔵界大日如来と、知徳を表す金剛界大日如来とが存在する。胎蔵界大日如来は法界定印、金剛界大日如来は智拳印を結んでおりそれと判別できる。

このうち智拳印は、他の諸仏にはみられない特徴的な手印であり、右手で仏、左手で衆生を表して、衆生を仏界に組み込んで煩悩を仏智に転ずるありさまを示したものという。法界定印は悟りの境地に至ったことを示した印である。

薬師如来

薬師瑠璃光如来、大医王仏とも。東方瑠璃光世界(浄土)の教主で、人々の病苦を癒すなど十二の誓願を立てた如来である。衆生に様々な現世利益をもたらすとして尊崇をあつめ、近世の石仏にも見ることが出来る。

草創期の薬師如来は施無畏、与願印を結ぶもので釈迦仏との区別は無きに等しかったが、平安期以降、右手に与願印を示し、左手に薬壷を持つ姿が定型となっており、他の如来との判別は比較的容易である。また脇侍に日光、月光菩薩を配したもの、眷属の十二神将を配したものもみられるが、石仏としてこうした彫刻が施されることはきわめて稀である。

阿弥陀如来

この名号はサンスクリット語のAmitaを音写したもので、意訳語である無量寿如来(無限の寿命を有する如来)、無量光如来(無辺の光明を保する如来)もしばしば用いられる。

『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』は浄土三部経と呼称される阿弥陀信仰の共通経典で、これらの説くところに依れば、阿弥陀如来も釈尊に同じくインドの王族の太子であり、過去無上の悟りを得んと欲して出家し、法藏菩薩になったという。そしてこのとき衆生済度のための誓願を起こし、苦行の末これを成就して西方極楽浄土の主に上ったとされている。

我が国の阿弥陀信仰は末法思想の流布する藤原時代に急速な広がりを見せている。この間、四十八願の第一八にあたる念仏往生の誓願が「弥陀弥の本願」して特に重視され、衆生は称名念仏(仏の名号を唱えること)の実践によって必ず極楽往生を遂げ、悟りの境地に到達できるとする思想が確立した。このため阿弥陀信仰は死後の安楽を願う人々によって盛行をみせ、近世の石仏をみても墓塔などとして多く造立されている。

補遺

釈迦如来を祀る有名寺院:四国八十八箇所霊場第一番札所霊山寺、国宝高岡山瑞龍寺、大雄山最乗寺、慈照寺(銀閣寺)
大日如来を祀る有名寺院:伊豆修善寺、高幡不動尊金剛寺、根来寺
薬師如来を祀る有名寺院:瑠璃光寺、一畑薬師、立石寺、総本山善通寺
阿弥陀如来を祀る有名寺院:深大寺、善光寺、願成寺(白水阿弥陀堂)